2009年6月25日木曜日

マサチューセッツ・シニア・ゲーム


アメリカでは毎年この時期になるとそれぞれの州で、シニア向けの夏の国体みたいなシニア・ゲームが開催される。50歳以上の市民が水泳、テニス、サッカー、ビリヤード(これってスポーツ?)、ボーリング、サッカー、バスケットボール、バレーボール、陸上競技、射撃、そしてアーチェリーなどのスポーツで競う。それぞれのスポーツの州の代表が2年ごとに開催される全国大会に出場する権利を獲得するのである。

さて、今年の2月に晴れて50歳になった私ブログ著者。実は大学のころに少しかじったアーチェリーを1年ほど前から再び始め、すっかりのめりこんでいる。もともとは子供たちのお稽古事のつもりが、親の方が夢中になって子供には呆れられ、「ついていけないよ。」とほったらかしにされている。

せっかく半世紀サバイブして正式にシニアの仲間入りをしたのだから、この試合を逃す手はないといそいそと出かけた。だが、この試合は普通の試合とはずいぶん違っていたのである。

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豪雨の中2時間半車で走り、マサチューセッツ州のおへそとも言える町スプリングフィールドにたどり着いたのは朝8時半。アーチェリーの試合は雷がならない限りは豪雨でも実施するので少し気が重かったが、意外にも試合場には雨は降っておらず、曇っているだけ。練習は9時に始まり、試合は10時に始まる予定だったのでちょうどいいタイミングだった。車を止めて会場に向かうともうすでに10人くらいの選手がそれぞれ準備している。全員がシニア男性だということに気がつくのに時間はかからなかった。みんな私の方をちらりと見て「なんだ、このアジア人の女は。」と思っているのがありありと分かる。後でわかったことであるが、このシニア・ゲームに毎年やってくる人たちはお互いによく知っていて、「新顔」はしばらくは「部外者」扱いなのである。とりあえず、端の目立たないところを探してケースから部品を取り出して弓を組み立て始めると、「ふ~ん。あいつも試合に来てるんだ。」と納得したのか、みなそれぞれ自分の準備にもどる。

しばらくすると、役員や審判がやってきて登録が始まる。私は10的ある中の1番的だ。的を見てまず思ったのは「でかい!!」アーチェリーはいろんな大きさや種類の的を競技によって使いわけるのだが、普通60m、70m、90mで使う的を、American 900という形式で60ヤード(54m)、50ヤード(45m)、そして40ヤード(36m)から射つのである。これはまさに目のよく見えない老人向けである。もう老眼鏡がないと本を読めない私にとってはうれしい。

9時の練習開始時に選手たちはそれぞれ自分の的近くに集まってきた。同的はみな50台の男性。ベアボー(昔インディアンが使っていた一番シンプルな弓)のロブ、オリンピックリカーブ(オリンピックで使われる照準機などもついた近代的な弓)の弓を射ち地元の子供たちにもアーチェリーを教えているトム、同じくオリンピックリカーブでスコットランドのキルト(どう見てもスカートなんですが)をはいているスチュアート、とオリンピックリカーブの私。選手は全員で38名。その中で女性は3人。オリンピックリカーブ部門の女性は私一人。(射つ前から優勝なのだ。)注意してみると、的番号が大きくなるほど年齢があがっていっているのがわかる。年令順に選手を並べているのだ。

練習時間も終わり、試合開始。その前に審判長が選手全員を前にルールを説明する。そして最後に「みなさん、ちゃんとおトイレは終わりましたか。今行きたい人いますか。あ、では待っててあげますから行ってきて下さいね。」普通は鬼のように怖い審判長がまるで老人向け観光旅行のガイドさんのようにやさしい。

試合が順調に始まり3分の1くらい行ったところで、ふと時間のたつのが早いのに気がついた。90本の矢を射つので、10時から始まったらお昼休みを入れても2時には終わるだろうと思っていたのにもう12時近いのだ。今晩はお客さんが来ると心配していた夫には4時か5時には帰ってくるからと出てきたのに!これって私の気のせい?と思って同的のスチュアートに聞いてみると「あっちのじいさんたちは計算も遅いし歩くのも遅いからね。」と自分もシニアなのを忘れてため息をついている。ふと10番的を見ると確かにまだ計算しながら矢を的から抜いている。矢が的を外れることもあるので、矢探しにも時間がかかるのである。でも、ここに来ているシニアの選手たちは本当にアーチェリーが好きなのだ。弓を引く腕がぶるぶると震え、矢が的を飛び越していってしまっても、この人たちは射ちたいのだ。年代ものの愛弓を携え、毎年やってきて若い人たちに気兼ねせずマイペースで射っているのだ。

お昼はみなそれぞれサンドイッチやらクッキーやらを出しておしゃべりしながらいただく。今年は景気が悪いから選手へのお土産が少ないとロブがぼやく。「去年なんて、Tシャツにシニア向けビタミン剤、便秘予防クッキー、保険会社のロゴ入りバッグ、日焼け止めクリームとかいろいろもらったんだけどね。今年はこのぺらぺらのTシャツだけだ。」お昼が終わった頃に無料新聞が配られた。シニア向けのコミュニティー紙で老人ホーム、クリニック、墓石、墓地の広告がびっしりと載っている。「う〜ん。」ちょっと悲しくなった。

やっと4時過ぎに試合は終わった。なぜかこの年になると、試合のあとは畑仕事をした後のような気分になる。アーチェリーはもくもくと矢を射つだけなので、このような気持ちになるのだろうか。「やれやれ、一仕事終わったよ。」って感じなのだ。

同的の者同士点数の合計を確認しあい、提出する。点数はすばやくコンピューターに入力され、順位が出てくる。最後の表彰式ではまず年長者から表彰される。90歳以上の部の参加者はいなかったが、85歳以上が1人、80歳から85歳も1人いた。88歳の最年長者部優勝のジョージがメダルを受け取ると、みな大きな拍手をして「ジョージ、今年も来れてよかったなあ~。」「来年もがんばれよな。」「みんな来年も生きてりゃいいよなあ。」などと言っている。部門は男女、5年ごとの年齢別、弓の種類別に別れているので、1位、2位、3位とほとんど全員がメダルをもらえる。私も唯一の50-55歳女性オリンピック・リカーブ部門優勝者としてメダルをもらった。同的の新しい友達たちが肩をたたいて「おめでとう」と言ってくれた。ぜったい来年も来なくてはいけない試合だなと思った。

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普通の試合だと、このあとは若い選手たちに片づけをまかせて、私のようなおじさんおばさんはさっさと帰り支度をするのだが、今回はそうはいかないことにすぐ気がついた。60歳、70歳のおじさんたちがえっちらこっちらと大きな的をトラックに運んでいるのである。一番若い私がさっさと帰るわけには行かない。私も的運び、最後の矢探しなどを手伝っているうちに、5時を過ぎてしまった。ちょっぴり夕暮れの気配がする中、みなそれぞれ車に荷物を入れ、「またな。」「また来年。」「運転気をつけて。」と口々にそれぞれ家路につく。「だんな怒ってるかなあ、ちょっと怖いなあ」とどきどきしながら夫に電話をかけた。「ごめん!今試合がおわったばかりでぇ〜」「え〜!!レモンがないから買ってきてもらおうと思っていたのに!ガチャン!」あんまりやさしくなくて口が悪い夫。でも、家に帰るとオードブルから自分で焼いたパン、そして夕食の準備もちゃんとしてお客様のおもてなしをしてくれていた。料理上手でアーチェリーの試合には一言も文句も言わずに送り出してくれる夫に感謝しております。はい。