2009年4月10日金曜日

イースターうさぎ

子供たちが小学校にあがって、少々ややこしくなってきたのがイースターである。クリスマスの話は筋が決まっている。基本的に北極に住むサンタさんがクリスマスイブの夜、トナカイの牽くそりに乗って全世界のよい子にプレゼントを配ってくれるのだ。ところが、イースターとなるといろいろな話が入り乱れ、子供が学校で情報交換をする年頃になると、話のつじつまをあわせるのが大変になってくるのだ。

我が家では、イースターになるとイースターバニーがやってきて、前の晩に子供たちが染めたパステルカラーの卵と自前で持ってきたチョコレートやジェリービーンをバスケットにいっぱい入れて置いて行ってくれる(ことになっている)。大きいメインのチョコレートは必ずうさぎの形をしており、小さいウズラ卵型のチョコレートを10個ずつくらい入れ、ジェリービーンはジョリーランチのものと決まっている。年によってその他のキャンディーが加わったり、うさぎのちいさいぬいぐるみがついたりする。家族全員の分がそれぞれダイニングテーブルの上に並べられるのである。

ところが、シュナイダー家ではイースターバニーはキャンディーをバスケットに入れて枕元に届けるのだが、色とりどりの卵は庭に隠す。探し損ねた卵はそのまま外で動物のえさになるか、腐るかする。ケニー家のイースターバニーはキャンディーの入ったバスケットは持ってこず、キャンディーの入ったプラスチックの卵を家の中に隠していく。正確に言えば、80個隠していくのである。捜さなくてはならない子供も大変だが、隠さなくてはならない親も大変である。小さい頃は目のつくところに置いておいたそうだが、大きくなるにつれてもう少しチャレンジがある方がいいだろうということで、テレビのうしろだとか、キッチンのキャビネットの中などに隠すことになる。そうすると、親もどこに隠したのかいちいち覚えていなくて、去年は家の間取り図を片手に隠した場所に印をつけていったそうだ。子供たちが最後の数個をなかなか捜せないでいると、おとうさんが「オーブンの中は見たの。」などとヒントを与える。ところが、知恵のついてきたおねえちゃんは「なんでおとうさんは、うさぎがどこに隠したのかわかるのよ。」と問い詰める。その上「このプラスチックの卵、去年のと同じだよ。」と言われ、おかあさんは思わず「イースターバニーも最近はリサイクルしているんだよ。」と答えたとのこと。もうそろそろイースターバニーは「幻バニー」だったということがわかってしまうんだろうな、と少し寂しげである。子供の夢を守ろうとする美しい親の愛。

で、これほど親の愛の美しくない我が家の去年の状況は悲惨であった。「まだまだイースターは先の話」(カソリックおよびプロテスタントのイースターは陰暦によっているので毎年3月か4月の日曜日とはわかっていても、はっきりした日はカレンダーを確認しないとわからない。これって、わたしのいいわけ?)、「キャンディーはぎりぎりに底値で買うから」、「バスケットは去年のをみんな取ってあるから大丈夫」とおおらかに構えていた母親の私。イースターやクリスマスなどのお祝い事の準備は200%完璧にする姑に育てられ、それは母親の仕事と思っている夫。イースターは予想に反してあっという間にやってきた。(ちなみに、去年のイースターは超早かった。)イースター前日に売り切れ寸前の白い卵を2ダース手に入れ、(この辺の卵はみな茶色いのが多い。)子供たちが卵をきれいに染め、チョコレートのウサギはみつけたものの、卵チョコやジェリーランチのいつものジェリービーンは近所のスーパーにはない。でもまあ、今晩早く子供たちを寝かしつけたその後で、近くのドラッグストアーへ走っていってもう少しキャンディーを買い集め、かごを探し出して準備をすればいいかとのんびり構えていたのが間違いであった。

その夜、夕食の時にワインを飲んでなぜかそのまま夫とスクラブルというゲームで対戦することになった。私たちのスクラブル対戦は大体1時間から1時間半かかる。二人とも真剣になってしまうので、ののしりあい小突きあいなどかなり醜い対戦になるのが常である。子供たちは心得たもので、自分たちだけでちゃんとお風呂に入り、歯を磨き、ベッドに入ってしまった。その夜も激しい接戦のあと二人とも疲れ果て、翌日のイースターのことなどすっかり忘れてしまったのである。ふとんに入って仲直りをし、ふと気がつくと窓からは暖かい日差しが差し込んできていて、娘がまくらもとに座っている。(私たち夫婦はフトンでねている。)「ねえ、ママ。イースターバニーが来るのって今日?それとも明日?」いつの間にかイースターサンデー当日の朝になってしまっていたのである!やばい!「うーん。明日の朝じゃないのかなあ。ちょっと忘れたよ。それよりお部屋に戻ってお着替えしてきなさい。」娘が部屋に入るのを見届けると、私は手早くT-シャツを着て下へ飛んで行った。ウサギチョコを引っ張り出し、値段のシールをはがす。去年とっておいたかごを探したものの、娘のピンクのかごしか見つからない。今年は家族全員の分がひとつのかごに入っていることにしよう。でもジェリービーンはないし、ほかにキャンディー類は買っていない。どうしよう!そうだ!去年のハローウイーンの時に買ったキャンディーがまだ残っている!小さいチョコレートバーやキャンディーが個々包装されているのは、イースターキャンディーとそう変わりはない。包み紙の色がパステルカラーではなく、オレンジや黒なのが少し気になるが、キャンディーに目が行って気がつかないだろうと高をくくり、鷲づかみでバスケットにたっぷり入れた。その上にウサギチョコを2匹ときれいに染められている卵を4個のせるとそれなりにイースターバスケットに見えるではないか!それをダイニングテーブルの真ん中に置いて、あたふたとベッドルームにもどって布団の中に飛び込んだ。これを娘が着替えている間にしたのだから超特急である。服にうるさいおしゃれな娘さまさまである。まもなく、娘が階段をとんとんと下りていく音が聞こえてきた。そのあとすぐに、今度はどんどんどんどんと階段を駆け上る足音が聞こえてきた。

娘「ママー。イースターバニーが来たよ!妙ちゃんだけにキャンディーおいていってくれたよ!」(ここで、息子が起きてきた。)
息子「え。バスケットはひとつしかなかったの?」
娘「うん。妙ちゃんのピンクのバスケットだけだよ。」
私「それはきっとウサギさんが他のバスケット見つけられなかったから、みんなの分を妙ちゃんのバスケットに入れたんだよ。だからみんなとシェアしてね。」(ここで、夫のけりが私のおしりに入る。)
娘「でも、なんでちゃんとみんなの分のバスケットを持ってこないの?」
私「うーん。それわあ、、、ほらあ。ウサギは小さいでしょ。だから何十個もキャンディーの入ったバスケット持ち歩けないんだよ。だから、家の中にあるものを見つけてキャンディーを入れてくれるんだよ。」(ここで、娘と息子はバスケットをひっくり返してキャンディーを数え始めている。)
息子「ふーん。だから、うちにあったハローウイーンキャンディーをリサイクルして使ったんだ。」(ここで、夫のけりが再び私のおしりに入る。)
私「、、、、」

子供たちが去った後、私は夫にけなされ、子供の報告を電話で聞いた姑からは「イースターバニーの夢をこわす悪い母親」のレッテルをはられた。

それでも子供たちはなんとか立ち直ってくれた。今年は母親の私はイースターの1ヶ月前にキャンディー、チョコレートなどちゃんとそろえた。その上、姑が去年みたいにならないようにとキャンディーをごっそり送ってくれたので、キャンディーは10人分くらいは軽くある。去年の事情を知っている友人たちも「イースターはこの日曜日だよ。イースター・バスケットの用意できたの。」と気にかけていてくれる。大丈夫。今年は準備万端です。

余談ですが、ユダヤ暦を使うギリシア正教のイースターは4年に一度カソリックとプロテスタントのイースターと重なりますが、その他の年は数週間遅くお祝いします。だから、彼らはイースターキャンディーをセールで安く買えるんですよね。うらやましい。

2009年4月7日火曜日

The Big Night

日本には四季のほかに二十四節気というのがある。自然の小さな変化にも季節の移り変わりを感じる日本らしい美しいコンセプトだと思う。啓蟄(けいちつ)はその二十四節気の1つでだいたい3月6日ごろにおとずれる。科学的定義によれば、太陽黄経が345度のときである。「啓蟄」は大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころという意味の漢字である。

北海道と同じくらいの緯度に位置するボストンのノースショアでは3月下旬から4月上旬にやっと雪が雨に変わり、道の横に積み上げられていた雪も解け始める。10年ほど前のエイプリルフールデー(4月1日)の大雪を経験してから、私も毎年4月1日がすぎるまでは雪かきの道具やスノーブーツ、ダウンジャケットはしまわない。


確実に雪が雨に変わるころになると子供たちが“The Big Night” を楽しみにする。夜通し40度以上の気温が保たれる大雨の夜に”The Big Night” は起こる。森の土の中や枯葉の下で冬眠していた蛙やいもり(サラマンダー)などの両生類が起きだしてきて近くの池や沼へ大移動する夜のことだ。このころには大移動する両生類たちを「交通事故」から守るためにあちこちの道には「両生類横断―注意」のサインが掲げられる。
春一番先におきだしてくるのはSpring Peeperと呼ばれる小さな蛙である。1-4センチくらいの大きさで、せなかにXのマークがあるのが特徴である。池でピーピーとメスを呼び寄せる声が聞こえてくると春がそこまで来ていることがわかる。子供たちにかわいがられているこのかわいい蛙は残念ながら他のおなかをすかせた爬虫類、大きな蛙や亀のえさになる。でも、ご心配なく。Spring Peeper は1匹につき卵を900個くらい産み、遅く這い出してくるほかの両生類やかめたちのために毎年しっかり繁殖しています。

もうひとつ子供たちに人気があるのはSpotted Salamander とよばれるいもりみたいな動物である。私の目から見れば皮膚がぬるぬるしていてちょっと鳥肌が立つのだが、子供たちに言わせると目がくりくりしていてかわいいとのこと。それにからだの点々模様もなんとなくユーモラス。

そこで、Big Night になると予想される夜に町の子供たちは繰り出してくるのである。

日が沈むとそれぞれ割り当てられた主要拠点で小学5年生たちが理科のプロジェクトのために両生類の種類を確認し数を数える。このデータは毎年専門家によって集積され、自然生態の健康状況と環境保全の政策を決めるのに役立てられている。低学年の子供たちは道路を横切ろうとしている蛙やいもりたちを車に轢かれる前に反対側に運んで行ってやるのが仕事である。これは自然生態観測と保護のために、毎年受け継がれていっている習慣である。

今年私の息子と娘は「両生類横断介助」をする年になった。毎日インターネットで降雨率と予想気温をチェックする。横断介助をする道の下見に行く。どこに沼があるのかをあらかじめ調べておくのである。先生からも「今晩かもしれません。」と連絡メールが入るころになるとテンションはますます高まる。息子の頭の中では両生類がぞろぞろ、うようよと道路を横断しているのが私にもまるで昔の16ミリの映画を観るようにわかる。息子は「マサチューセッツ州の両生類」というポスターの写真にじっと見入り、もうボーっとしてエクスタシーの世界である。

「両生類横断介助」と一口に言っても、それなりの準備が必要である。横断が活発化するのは日が暮れてからなので、まず懐中電灯が必要である。それもできれば頭につけて両手が自由になる型がいい。そして雨の降る中の介助なので雨靴とレインコートを着る。できれば黄色など目立つ色か反射板がついているものの方が安全である。小さいビーチバケツを持っていくと、何匹か同じ方向に渡ろうとしているかえるたちをいっぺんに運べるので効率がいい。中には反対方向に向かうかえるがいるそうだが、それも理由があってのことらしいので、向かっている方向に連れて行ってあげなくてはならないそうだ。あとは透明のビニール袋にいれたカメラがあれば万全。ただ、付き添う親は両生類横断介助をする子供たちの方が車に轢かれないように気をつけなくてはならないので、写真を撮ることに夢中になってはいけない。

「いよいよ今晩か?」というしとしと雨の降る日の夕方、私と子供たちはしっかり武装し、懐中電灯の電池も取替え、日没30分前に目的地に着いた。気温もまだ40度以上を保っている。道路わきに車を止めて、沼を確認する。気の早いSpring Peeper が何匹かすでに沼に到着していてピーピー鳴き始めている。もう一台車が50mほど離れたところに止まり、やはり2-3人子供たちが降りてきて様子を伺っている。むこうは全員がバケツを持っている。しばらく森側を歩き、何か動きをキャッチしようとするが、何にも見つからない。じりじりと時が過ぎるのを待つ。やっと日が沈み、あたりがやみに包まれた。さあいよいよか!と心は奮い立つものの、何も出てこないし、何も起こらない。そうこうするうちに気温がぐんぐん下がってきて、ちょっと寒いなあと思って車の気温計を見ると華氏30度台になってしまっているのだ。しばらく待ったものの、あきらめて帰ることにした。両生類たちは今晩気温が下がるのを察知していたのだろうか。その夜は結局30度台の寒い夜になった。

空振りの夜のあと、私は少し気が抜けてしまったが、子供たちは相変わらず毎日天気を気にして雨の日には今晩の予想気温は何度なのとたずねてくる。たいして雨も降らないまま日が過ぎ、私は4月の1週目に日本へ出張のために旅立った。

日本に着いた次の日の朝、ホテルに電話がかかってきた。息子の興奮した声が飛び込んできた。「今晩がBig Night だよ!いっぱいいっぱい蛙が道を渡ってるよ!」その後ろではSpring Peeper がぴーぴーと大合唱している。「ええ!?今晩だったのか!ちゃんとバケツ持っていってるの?」「うん!じゃね。ツー、、、、、」「う。」(“I love you” を期待してたのに。)その日は「息子に必要とされていない母親」を再び認識されられ、Big Night を逃してしまったことで少し落ち込んでしまった。

5年ぶりの京都は暖かい春の陽気でタクシーから見る町もいきいきと見える。満開の桜もちらほら見える。目的地に着いたもののまだ時間があったので、すぐ向かいにある御所を散歩することにした。砂利道を少し歩くと急に目の前にいろいろな密度の桜色が広がった。まるでそこだけが別世界、秘密の花園みたいなのだ。限りなく白に近い淡い桜色、娘のほっぺたを思い出させるような若々しい健康なピンク、小さな池に漂う無数の桜色、桜色、桜色。耳を両手でふさいで上を見上げると周りにいる人間はみないなくなり、青い空と桜の花びらとちらちらと見える太陽の光だけが見える。自然は美しいなあ、日本は美しいなあとしみじみ思う。
今年はBig Night は逃してしまったが、20年ぶりに日本の春をしっかりと体と心に取り込んでボストンへの帰路についた。家に帰って見せてもらったちょっと暗い写真にはちいさなかえるがたくさん写っていた。そして息子が手のひらにかえるをのせて満身の笑みを浮かべている写真もあった。「来年はママもいっしょにいこうね。」とやさしいことを言う息子。「うん。いっしょにいこう。」