2009年6月25日木曜日

マサチューセッツ・シニア・ゲーム


アメリカでは毎年この時期になるとそれぞれの州で、シニア向けの夏の国体みたいなシニア・ゲームが開催される。50歳以上の市民が水泳、テニス、サッカー、ビリヤード(これってスポーツ?)、ボーリング、サッカー、バスケットボール、バレーボール、陸上競技、射撃、そしてアーチェリーなどのスポーツで競う。それぞれのスポーツの州の代表が2年ごとに開催される全国大会に出場する権利を獲得するのである。

さて、今年の2月に晴れて50歳になった私ブログ著者。実は大学のころに少しかじったアーチェリーを1年ほど前から再び始め、すっかりのめりこんでいる。もともとは子供たちのお稽古事のつもりが、親の方が夢中になって子供には呆れられ、「ついていけないよ。」とほったらかしにされている。

せっかく半世紀サバイブして正式にシニアの仲間入りをしたのだから、この試合を逃す手はないといそいそと出かけた。だが、この試合は普通の試合とはずいぶん違っていたのである。

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豪雨の中2時間半車で走り、マサチューセッツ州のおへそとも言える町スプリングフィールドにたどり着いたのは朝8時半。アーチェリーの試合は雷がならない限りは豪雨でも実施するので少し気が重かったが、意外にも試合場には雨は降っておらず、曇っているだけ。練習は9時に始まり、試合は10時に始まる予定だったのでちょうどいいタイミングだった。車を止めて会場に向かうともうすでに10人くらいの選手がそれぞれ準備している。全員がシニア男性だということに気がつくのに時間はかからなかった。みんな私の方をちらりと見て「なんだ、このアジア人の女は。」と思っているのがありありと分かる。後でわかったことであるが、このシニア・ゲームに毎年やってくる人たちはお互いによく知っていて、「新顔」はしばらくは「部外者」扱いなのである。とりあえず、端の目立たないところを探してケースから部品を取り出して弓を組み立て始めると、「ふ~ん。あいつも試合に来てるんだ。」と納得したのか、みなそれぞれ自分の準備にもどる。

しばらくすると、役員や審判がやってきて登録が始まる。私は10的ある中の1番的だ。的を見てまず思ったのは「でかい!!」アーチェリーはいろんな大きさや種類の的を競技によって使いわけるのだが、普通60m、70m、90mで使う的を、American 900という形式で60ヤード(54m)、50ヤード(45m)、そして40ヤード(36m)から射つのである。これはまさに目のよく見えない老人向けである。もう老眼鏡がないと本を読めない私にとってはうれしい。

9時の練習開始時に選手たちはそれぞれ自分の的近くに集まってきた。同的はみな50台の男性。ベアボー(昔インディアンが使っていた一番シンプルな弓)のロブ、オリンピックリカーブ(オリンピックで使われる照準機などもついた近代的な弓)の弓を射ち地元の子供たちにもアーチェリーを教えているトム、同じくオリンピックリカーブでスコットランドのキルト(どう見てもスカートなんですが)をはいているスチュアート、とオリンピックリカーブの私。選手は全員で38名。その中で女性は3人。オリンピックリカーブ部門の女性は私一人。(射つ前から優勝なのだ。)注意してみると、的番号が大きくなるほど年齢があがっていっているのがわかる。年令順に選手を並べているのだ。

練習時間も終わり、試合開始。その前に審判長が選手全員を前にルールを説明する。そして最後に「みなさん、ちゃんとおトイレは終わりましたか。今行きたい人いますか。あ、では待っててあげますから行ってきて下さいね。」普通は鬼のように怖い審判長がまるで老人向け観光旅行のガイドさんのようにやさしい。

試合が順調に始まり3分の1くらい行ったところで、ふと時間のたつのが早いのに気がついた。90本の矢を射つので、10時から始まったらお昼休みを入れても2時には終わるだろうと思っていたのにもう12時近いのだ。今晩はお客さんが来ると心配していた夫には4時か5時には帰ってくるからと出てきたのに!これって私の気のせい?と思って同的のスチュアートに聞いてみると「あっちのじいさんたちは計算も遅いし歩くのも遅いからね。」と自分もシニアなのを忘れてため息をついている。ふと10番的を見ると確かにまだ計算しながら矢を的から抜いている。矢が的を外れることもあるので、矢探しにも時間がかかるのである。でも、ここに来ているシニアの選手たちは本当にアーチェリーが好きなのだ。弓を引く腕がぶるぶると震え、矢が的を飛び越していってしまっても、この人たちは射ちたいのだ。年代ものの愛弓を携え、毎年やってきて若い人たちに気兼ねせずマイペースで射っているのだ。

お昼はみなそれぞれサンドイッチやらクッキーやらを出しておしゃべりしながらいただく。今年は景気が悪いから選手へのお土産が少ないとロブがぼやく。「去年なんて、Tシャツにシニア向けビタミン剤、便秘予防クッキー、保険会社のロゴ入りバッグ、日焼け止めクリームとかいろいろもらったんだけどね。今年はこのぺらぺらのTシャツだけだ。」お昼が終わった頃に無料新聞が配られた。シニア向けのコミュニティー紙で老人ホーム、クリニック、墓石、墓地の広告がびっしりと載っている。「う〜ん。」ちょっと悲しくなった。

やっと4時過ぎに試合は終わった。なぜかこの年になると、試合のあとは畑仕事をした後のような気分になる。アーチェリーはもくもくと矢を射つだけなので、このような気持ちになるのだろうか。「やれやれ、一仕事終わったよ。」って感じなのだ。

同的の者同士点数の合計を確認しあい、提出する。点数はすばやくコンピューターに入力され、順位が出てくる。最後の表彰式ではまず年長者から表彰される。90歳以上の部の参加者はいなかったが、85歳以上が1人、80歳から85歳も1人いた。88歳の最年長者部優勝のジョージがメダルを受け取ると、みな大きな拍手をして「ジョージ、今年も来れてよかったなあ~。」「来年もがんばれよな。」「みんな来年も生きてりゃいいよなあ。」などと言っている。部門は男女、5年ごとの年齢別、弓の種類別に別れているので、1位、2位、3位とほとんど全員がメダルをもらえる。私も唯一の50-55歳女性オリンピック・リカーブ部門優勝者としてメダルをもらった。同的の新しい友達たちが肩をたたいて「おめでとう」と言ってくれた。ぜったい来年も来なくてはいけない試合だなと思った。

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普通の試合だと、このあとは若い選手たちに片づけをまかせて、私のようなおじさんおばさんはさっさと帰り支度をするのだが、今回はそうはいかないことにすぐ気がついた。60歳、70歳のおじさんたちがえっちらこっちらと大きな的をトラックに運んでいるのである。一番若い私がさっさと帰るわけには行かない。私も的運び、最後の矢探しなどを手伝っているうちに、5時を過ぎてしまった。ちょっぴり夕暮れの気配がする中、みなそれぞれ車に荷物を入れ、「またな。」「また来年。」「運転気をつけて。」と口々にそれぞれ家路につく。「だんな怒ってるかなあ、ちょっと怖いなあ」とどきどきしながら夫に電話をかけた。「ごめん!今試合がおわったばかりでぇ〜」「え〜!!レモンがないから買ってきてもらおうと思っていたのに!ガチャン!」あんまりやさしくなくて口が悪い夫。でも、家に帰るとオードブルから自分で焼いたパン、そして夕食の準備もちゃんとしてお客様のおもてなしをしてくれていた。料理上手でアーチェリーの試合には一言も文句も言わずに送り出してくれる夫に感謝しております。はい。

2009年4月10日金曜日

イースターうさぎ

子供たちが小学校にあがって、少々ややこしくなってきたのがイースターである。クリスマスの話は筋が決まっている。基本的に北極に住むサンタさんがクリスマスイブの夜、トナカイの牽くそりに乗って全世界のよい子にプレゼントを配ってくれるのだ。ところが、イースターとなるといろいろな話が入り乱れ、子供が学校で情報交換をする年頃になると、話のつじつまをあわせるのが大変になってくるのだ。

我が家では、イースターになるとイースターバニーがやってきて、前の晩に子供たちが染めたパステルカラーの卵と自前で持ってきたチョコレートやジェリービーンをバスケットにいっぱい入れて置いて行ってくれる(ことになっている)。大きいメインのチョコレートは必ずうさぎの形をしており、小さいウズラ卵型のチョコレートを10個ずつくらい入れ、ジェリービーンはジョリーランチのものと決まっている。年によってその他のキャンディーが加わったり、うさぎのちいさいぬいぐるみがついたりする。家族全員の分がそれぞれダイニングテーブルの上に並べられるのである。

ところが、シュナイダー家ではイースターバニーはキャンディーをバスケットに入れて枕元に届けるのだが、色とりどりの卵は庭に隠す。探し損ねた卵はそのまま外で動物のえさになるか、腐るかする。ケニー家のイースターバニーはキャンディーの入ったバスケットは持ってこず、キャンディーの入ったプラスチックの卵を家の中に隠していく。正確に言えば、80個隠していくのである。捜さなくてはならない子供も大変だが、隠さなくてはならない親も大変である。小さい頃は目のつくところに置いておいたそうだが、大きくなるにつれてもう少しチャレンジがある方がいいだろうということで、テレビのうしろだとか、キッチンのキャビネットの中などに隠すことになる。そうすると、親もどこに隠したのかいちいち覚えていなくて、去年は家の間取り図を片手に隠した場所に印をつけていったそうだ。子供たちが最後の数個をなかなか捜せないでいると、おとうさんが「オーブンの中は見たの。」などとヒントを与える。ところが、知恵のついてきたおねえちゃんは「なんでおとうさんは、うさぎがどこに隠したのかわかるのよ。」と問い詰める。その上「このプラスチックの卵、去年のと同じだよ。」と言われ、おかあさんは思わず「イースターバニーも最近はリサイクルしているんだよ。」と答えたとのこと。もうそろそろイースターバニーは「幻バニー」だったということがわかってしまうんだろうな、と少し寂しげである。子供の夢を守ろうとする美しい親の愛。

で、これほど親の愛の美しくない我が家の去年の状況は悲惨であった。「まだまだイースターは先の話」(カソリックおよびプロテスタントのイースターは陰暦によっているので毎年3月か4月の日曜日とはわかっていても、はっきりした日はカレンダーを確認しないとわからない。これって、わたしのいいわけ?)、「キャンディーはぎりぎりに底値で買うから」、「バスケットは去年のをみんな取ってあるから大丈夫」とおおらかに構えていた母親の私。イースターやクリスマスなどのお祝い事の準備は200%完璧にする姑に育てられ、それは母親の仕事と思っている夫。イースターは予想に反してあっという間にやってきた。(ちなみに、去年のイースターは超早かった。)イースター前日に売り切れ寸前の白い卵を2ダース手に入れ、(この辺の卵はみな茶色いのが多い。)子供たちが卵をきれいに染め、チョコレートのウサギはみつけたものの、卵チョコやジェリーランチのいつものジェリービーンは近所のスーパーにはない。でもまあ、今晩早く子供たちを寝かしつけたその後で、近くのドラッグストアーへ走っていってもう少しキャンディーを買い集め、かごを探し出して準備をすればいいかとのんびり構えていたのが間違いであった。

その夜、夕食の時にワインを飲んでなぜかそのまま夫とスクラブルというゲームで対戦することになった。私たちのスクラブル対戦は大体1時間から1時間半かかる。二人とも真剣になってしまうので、ののしりあい小突きあいなどかなり醜い対戦になるのが常である。子供たちは心得たもので、自分たちだけでちゃんとお風呂に入り、歯を磨き、ベッドに入ってしまった。その夜も激しい接戦のあと二人とも疲れ果て、翌日のイースターのことなどすっかり忘れてしまったのである。ふとんに入って仲直りをし、ふと気がつくと窓からは暖かい日差しが差し込んできていて、娘がまくらもとに座っている。(私たち夫婦はフトンでねている。)「ねえ、ママ。イースターバニーが来るのって今日?それとも明日?」いつの間にかイースターサンデー当日の朝になってしまっていたのである!やばい!「うーん。明日の朝じゃないのかなあ。ちょっと忘れたよ。それよりお部屋に戻ってお着替えしてきなさい。」娘が部屋に入るのを見届けると、私は手早くT-シャツを着て下へ飛んで行った。ウサギチョコを引っ張り出し、値段のシールをはがす。去年とっておいたかごを探したものの、娘のピンクのかごしか見つからない。今年は家族全員の分がひとつのかごに入っていることにしよう。でもジェリービーンはないし、ほかにキャンディー類は買っていない。どうしよう!そうだ!去年のハローウイーンの時に買ったキャンディーがまだ残っている!小さいチョコレートバーやキャンディーが個々包装されているのは、イースターキャンディーとそう変わりはない。包み紙の色がパステルカラーではなく、オレンジや黒なのが少し気になるが、キャンディーに目が行って気がつかないだろうと高をくくり、鷲づかみでバスケットにたっぷり入れた。その上にウサギチョコを2匹ときれいに染められている卵を4個のせるとそれなりにイースターバスケットに見えるではないか!それをダイニングテーブルの真ん中に置いて、あたふたとベッドルームにもどって布団の中に飛び込んだ。これを娘が着替えている間にしたのだから超特急である。服にうるさいおしゃれな娘さまさまである。まもなく、娘が階段をとんとんと下りていく音が聞こえてきた。そのあとすぐに、今度はどんどんどんどんと階段を駆け上る足音が聞こえてきた。

娘「ママー。イースターバニーが来たよ!妙ちゃんだけにキャンディーおいていってくれたよ!」(ここで、息子が起きてきた。)
息子「え。バスケットはひとつしかなかったの?」
娘「うん。妙ちゃんのピンクのバスケットだけだよ。」
私「それはきっとウサギさんが他のバスケット見つけられなかったから、みんなの分を妙ちゃんのバスケットに入れたんだよ。だからみんなとシェアしてね。」(ここで、夫のけりが私のおしりに入る。)
娘「でも、なんでちゃんとみんなの分のバスケットを持ってこないの?」
私「うーん。それわあ、、、ほらあ。ウサギは小さいでしょ。だから何十個もキャンディーの入ったバスケット持ち歩けないんだよ。だから、家の中にあるものを見つけてキャンディーを入れてくれるんだよ。」(ここで、娘と息子はバスケットをひっくり返してキャンディーを数え始めている。)
息子「ふーん。だから、うちにあったハローウイーンキャンディーをリサイクルして使ったんだ。」(ここで、夫のけりが再び私のおしりに入る。)
私「、、、、」

子供たちが去った後、私は夫にけなされ、子供の報告を電話で聞いた姑からは「イースターバニーの夢をこわす悪い母親」のレッテルをはられた。

それでも子供たちはなんとか立ち直ってくれた。今年は母親の私はイースターの1ヶ月前にキャンディー、チョコレートなどちゃんとそろえた。その上、姑が去年みたいにならないようにとキャンディーをごっそり送ってくれたので、キャンディーは10人分くらいは軽くある。去年の事情を知っている友人たちも「イースターはこの日曜日だよ。イースター・バスケットの用意できたの。」と気にかけていてくれる。大丈夫。今年は準備万端です。

余談ですが、ユダヤ暦を使うギリシア正教のイースターは4年に一度カソリックとプロテスタントのイースターと重なりますが、その他の年は数週間遅くお祝いします。だから、彼らはイースターキャンディーをセールで安く買えるんですよね。うらやましい。

2009年4月7日火曜日

The Big Night

日本には四季のほかに二十四節気というのがある。自然の小さな変化にも季節の移り変わりを感じる日本らしい美しいコンセプトだと思う。啓蟄(けいちつ)はその二十四節気の1つでだいたい3月6日ごろにおとずれる。科学的定義によれば、太陽黄経が345度のときである。「啓蟄」は大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころという意味の漢字である。

北海道と同じくらいの緯度に位置するボストンのノースショアでは3月下旬から4月上旬にやっと雪が雨に変わり、道の横に積み上げられていた雪も解け始める。10年ほど前のエイプリルフールデー(4月1日)の大雪を経験してから、私も毎年4月1日がすぎるまでは雪かきの道具やスノーブーツ、ダウンジャケットはしまわない。


確実に雪が雨に変わるころになると子供たちが“The Big Night” を楽しみにする。夜通し40度以上の気温が保たれる大雨の夜に”The Big Night” は起こる。森の土の中や枯葉の下で冬眠していた蛙やいもり(サラマンダー)などの両生類が起きだしてきて近くの池や沼へ大移動する夜のことだ。このころには大移動する両生類たちを「交通事故」から守るためにあちこちの道には「両生類横断―注意」のサインが掲げられる。
春一番先におきだしてくるのはSpring Peeperと呼ばれる小さな蛙である。1-4センチくらいの大きさで、せなかにXのマークがあるのが特徴である。池でピーピーとメスを呼び寄せる声が聞こえてくると春がそこまで来ていることがわかる。子供たちにかわいがられているこのかわいい蛙は残念ながら他のおなかをすかせた爬虫類、大きな蛙や亀のえさになる。でも、ご心配なく。Spring Peeper は1匹につき卵を900個くらい産み、遅く這い出してくるほかの両生類やかめたちのために毎年しっかり繁殖しています。

もうひとつ子供たちに人気があるのはSpotted Salamander とよばれるいもりみたいな動物である。私の目から見れば皮膚がぬるぬるしていてちょっと鳥肌が立つのだが、子供たちに言わせると目がくりくりしていてかわいいとのこと。それにからだの点々模様もなんとなくユーモラス。

そこで、Big Night になると予想される夜に町の子供たちは繰り出してくるのである。

日が沈むとそれぞれ割り当てられた主要拠点で小学5年生たちが理科のプロジェクトのために両生類の種類を確認し数を数える。このデータは毎年専門家によって集積され、自然生態の健康状況と環境保全の政策を決めるのに役立てられている。低学年の子供たちは道路を横切ろうとしている蛙やいもりたちを車に轢かれる前に反対側に運んで行ってやるのが仕事である。これは自然生態観測と保護のために、毎年受け継がれていっている習慣である。

今年私の息子と娘は「両生類横断介助」をする年になった。毎日インターネットで降雨率と予想気温をチェックする。横断介助をする道の下見に行く。どこに沼があるのかをあらかじめ調べておくのである。先生からも「今晩かもしれません。」と連絡メールが入るころになるとテンションはますます高まる。息子の頭の中では両生類がぞろぞろ、うようよと道路を横断しているのが私にもまるで昔の16ミリの映画を観るようにわかる。息子は「マサチューセッツ州の両生類」というポスターの写真にじっと見入り、もうボーっとしてエクスタシーの世界である。

「両生類横断介助」と一口に言っても、それなりの準備が必要である。横断が活発化するのは日が暮れてからなので、まず懐中電灯が必要である。それもできれば頭につけて両手が自由になる型がいい。そして雨の降る中の介助なので雨靴とレインコートを着る。できれば黄色など目立つ色か反射板がついているものの方が安全である。小さいビーチバケツを持っていくと、何匹か同じ方向に渡ろうとしているかえるたちをいっぺんに運べるので効率がいい。中には反対方向に向かうかえるがいるそうだが、それも理由があってのことらしいので、向かっている方向に連れて行ってあげなくてはならないそうだ。あとは透明のビニール袋にいれたカメラがあれば万全。ただ、付き添う親は両生類横断介助をする子供たちの方が車に轢かれないように気をつけなくてはならないので、写真を撮ることに夢中になってはいけない。

「いよいよ今晩か?」というしとしと雨の降る日の夕方、私と子供たちはしっかり武装し、懐中電灯の電池も取替え、日没30分前に目的地に着いた。気温もまだ40度以上を保っている。道路わきに車を止めて、沼を確認する。気の早いSpring Peeper が何匹かすでに沼に到着していてピーピー鳴き始めている。もう一台車が50mほど離れたところに止まり、やはり2-3人子供たちが降りてきて様子を伺っている。むこうは全員がバケツを持っている。しばらく森側を歩き、何か動きをキャッチしようとするが、何にも見つからない。じりじりと時が過ぎるのを待つ。やっと日が沈み、あたりがやみに包まれた。さあいよいよか!と心は奮い立つものの、何も出てこないし、何も起こらない。そうこうするうちに気温がぐんぐん下がってきて、ちょっと寒いなあと思って車の気温計を見ると華氏30度台になってしまっているのだ。しばらく待ったものの、あきらめて帰ることにした。両生類たちは今晩気温が下がるのを察知していたのだろうか。その夜は結局30度台の寒い夜になった。

空振りの夜のあと、私は少し気が抜けてしまったが、子供たちは相変わらず毎日天気を気にして雨の日には今晩の予想気温は何度なのとたずねてくる。たいして雨も降らないまま日が過ぎ、私は4月の1週目に日本へ出張のために旅立った。

日本に着いた次の日の朝、ホテルに電話がかかってきた。息子の興奮した声が飛び込んできた。「今晩がBig Night だよ!いっぱいいっぱい蛙が道を渡ってるよ!」その後ろではSpring Peeper がぴーぴーと大合唱している。「ええ!?今晩だったのか!ちゃんとバケツ持っていってるの?」「うん!じゃね。ツー、、、、、」「う。」(“I love you” を期待してたのに。)その日は「息子に必要とされていない母親」を再び認識されられ、Big Night を逃してしまったことで少し落ち込んでしまった。

5年ぶりの京都は暖かい春の陽気でタクシーから見る町もいきいきと見える。満開の桜もちらほら見える。目的地に着いたもののまだ時間があったので、すぐ向かいにある御所を散歩することにした。砂利道を少し歩くと急に目の前にいろいろな密度の桜色が広がった。まるでそこだけが別世界、秘密の花園みたいなのだ。限りなく白に近い淡い桜色、娘のほっぺたを思い出させるような若々しい健康なピンク、小さな池に漂う無数の桜色、桜色、桜色。耳を両手でふさいで上を見上げると周りにいる人間はみないなくなり、青い空と桜の花びらとちらちらと見える太陽の光だけが見える。自然は美しいなあ、日本は美しいなあとしみじみ思う。
今年はBig Night は逃してしまったが、20年ぶりに日本の春をしっかりと体と心に取り込んでボストンへの帰路についた。家に帰って見せてもらったちょっと暗い写真にはちいさなかえるがたくさん写っていた。そして息子が手のひらにかえるをのせて満身の笑みを浮かべている写真もあった。「来年はママもいっしょにいこうね。」とやさしいことを言う息子。「うん。いっしょにいこう。」

2009年3月26日木曜日

アーチェリー全国大会熟女(!?)部門優勝!


二月にある全国インドア大会はおかあさんの誕生日のすぐ後。ということで、おかあさんこと私は今年はシニアからマスターズ部門にあがった。そして何とオリンピック・リカーブ「熟女」部門で優勝してしまったのだ。この大会は全国各地11箇所で2月から3月にかけて行われ、結果の集計が先週正式に発表された。日本のリカーブアーチェリー界に比べると全体のレベルは低いし、参加人数も少ないのだが、でもやっぱりうれしい。

私は大学生のころに1年だけアーチェリーをしていた。その後は忙しいし、近くに練習するところもなかったので、ご無沙汰していた。ところが、2年まえのチャーリーと妙ちゃんの7歳の誕生日に、おとうさんがおもちゃのアーチェリーセットを買ってくれた。でも、そのセットには指を守るフィンガータブや腕を守るアームガードなどが入っていなかった。それに矢も3本しか入っておらず、何回か遊んでいるうちに壊れてしまったのだ。そこで、私はグーグルでどこか近くにアーチェリー屋さんがないかどうか探したところ、30分ほど行った隣のニューハンプチャー州の町に一軒あるのを見つけた。

私はある日の午後、仕事を少しさぼって必要な物を手に入れるべく、そのお店ビッグ・アルズ・アーチェリーを探しに行った。お店のあるシーブルックの町は、少しうらびれていて寂しげな町。中央道りにお店はあるはずなのに、なかなか見つからない。何度か行ったり来たりして、やっとがらくた屋さんの裏にあるのを見つけた。窓は薄汚れて中は見えないが、一応アーチェリーメーカーのステッカーが窓にべたべた貼ってあるので、確かにここなのだ。本当にお店やっているのと少し不安に思いつつ、ドアを開けると中は薄暗い倉庫のような場所。床、壁、天井は木がむき出しの中で目に飛び込んできたのは迷彩色。迷彩色の弓、迷彩色の矢、迷彩色のブーツ、ジャケット、ズボン、帽子、迷彩色のバッグ、迷彩色のテント。

しばらく入り口近くで、目当ての物はどこにあるのかと店内を少し見回すと、これまた年代もののガラスカウンターの後ろにちんまりとすわっているおじさんが目に入った。私が「ハロー」というと、ちらと私を見て「おう」と無愛想に言って、また自分の手元に目を落とした。明らかに私を見て「よそ者侵入」の警告が体中から発散されている。あとで少しずつ分かったことなのだが、そもそもこの店には女性はほとんど来ない。その上、白人以外を見たことがない。自分で自分のことを「レッド・ネック」と呼ぶ白人男性が店員の100%、そしてお客さんの99%をしめているのだ。(あとの1%は私と何人かの子供たち)

で、このときは隣のガラクタ屋に来た中国人の女が迷い込んできた、くらいに思っていたらしい。店員は私のことを全く無視するフリをするので、私はかえって気が楽になってあちこち見て回ることが出来た。

ここで気がついたのは、このアーチェリー屋さんは弓矢で狩りをする人向けのお店だということである。すべての物が迷彩色であるのと、弓が数本を除いてすべてコンパウンドボウという滑車のついている猟に使われる弓であることから分かる。日本では猟銃で狩りはできても、弓矢では狩りはできない。だから、日本でアーチェリーといえば、スポーツなのである。でも、アメリカでは弓矢は立派な猟の道具である。特に、あまりお金に余裕のない人にとって、猟銃ほどはお金がかからず、秋口の鹿狩りの季節に鹿を1−2頭しとめれば冬のお肉はもう買わなくてもいいというありがたい道具なのだ。

お店の掲示板に、しとめた鹿や七面鳥、くま、ムースなどといっしょに誇らしげに写っているのはきっとお得意さんたちなのだろう。やっと隅の方の壁際に探していたフィンガータブとアームガードを見つけた。でも、弓の弦を張る時に使うT定規が見当たらない。そこで、カウンターの後ろのおじさんにきいてみようと彼に近づいて行った。「あの〜。T定規がほしいんですけど。」「え?なかったかなあ。取り寄せないとだめかもなあ。君、アーチェリーするの?」「昔ちょっとだけかじったんだけれどもやめました。でも、こどもたちに教えようと思って。」「へえ、そうなんだ。」それからはどこに住んでいるの(同じ町に住んでいることが判明)、どこ出身なの(アジア人は好きだと判明)、仕事は何しているの(彼は昔教師だったことが判明)、などなど延々と1時間以上話し込んでしまった。そのあげく「せっかくだから君ももう一回アーチェリー始めなよ。ほら、ここにある木の弓は$100だよ。しばらくこれを射ってみなよ。いらなかったら買い戻してあげるから。」というセールスピッチに負けて自分用の弓も買ってしまった。それから再びアーチェリーにのめり込んでしまったのである。不思議なもので、弓を持つと体がまだ射ち方を覚えていた。

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ローカル紙で全国優勝のニュースを取り上げることになったとき、私は、「ちょこっとどこか隅っこにでも載せてくれるのかなあ~」と思っていたのだが、なんとスポーツ欄の第一ページ、それもでかでかと出たのでびっくり!本文中何回も年齢を持ち出してくるものだから、町中の人間が私の年を知ってしまった。さっそく、学校からお話とデモンストレーションをしてほしい、知り合いの女性から教えて欲しいとリクエストが来ている。おかあさんはいつも「アーチェリーの楽しさをたくさんの人に知ってもらいたい」と思っているので、これを機会に少し教えるのもいいかもと思ってます。

記事はこちら。http://www.wickedlocal.com/ipswich/homepage/x1525910221/Local-resident-wins-national-archery-championship-in-division

2008年12月20日土曜日

サンタ伝説くずれる

うちの子供たちは今年8歳になりました。現地校では3年生。(日本語学校は2年生)まわりでも「サンタなんていないよ」と言う子供も増え、妙ちゃんとチャーリー君も「ねえ、サンタって本当にいるの?」と今年は以前にも増して、疑いの色の濃い目をしてきいてきた。

まだ小さい頃は、目をきらきらさせてサンタさんへ絵を描いたり、手紙を書いたりしていた。サンクスギビングが終わると、郵便局にはちゃんとサンタさん専用のボストが設置されるので、いっしょにそこへ手紙を入れに行ったものだ。息子の手紙は単刀直入で欲しいもののリストだったが、娘はまずサンタさんのご機嫌をうかがい、("Dear Santa, How are you? I hope you had a wonderful year....") そのあと自分がどれほどいい子だったかを書き、それからおもむろに自分のほしいものを書く。もちろん最後には "I love you." で締めくくる。クリスマス前の半年くらいは「いい子にしてないと、サンタさんが来ないよ」と脅せば、たいてい言うことをきくので「サンタさん様々だな」なんて思っていたこともある。

うちはクリスマスには、おばあちゃんの家に集まる。クリスマスイブの夕食は、ロブスター・キャセロールと決まっている。デザートのあと、おさらにクッキーと人参を用意し、(人参はトナカイのため)ミルクをグラス一杯入れて、クリスマスツリーの横に置いておく。サンタさんは子供たちが寝てから来るので、いつまでも起きていると来てくれない。子供たちは、そわそわわくわくベッドに入る。それからあとの2−3時間が「サンタの時間」。大人たちは大慌てでプレゼントを包む。サンタさんからのプレゼントは全部サンタの模様の包み紙を使う。おばあちゃんからのプレゼントは上等で上品な包み紙に包まれている。おかあさんとおとうさんのは量販店で買ってきたものだ。お互いへのプレゼントもあるので、「今こっち見ないでよね。」などと言いながらせっせと包む。

最後にほっと一息入れ、おとうさんが牛乳とクッキーをたいらげ、おかあさんがにんじんを食べる。しかし、これで終わりではない。このあと、おばあちゃんはお父さん、お母さん、子供たち、おばさん、そして犬のアディーのクリスマスソックスを詰めてくれる。おばあちゃんのソックスはお母さんが詰める。必ず入っているものは、歯ブラシ、歯磨き粉、デンタルフロス、みかん、チョコレート、ミント、雑誌である。他に化粧品だとか、小さいおもちゃだとか、いろいろ入っている。それはリビングルームにある暖炉の前に並べられる。

クリスマスの日の朝、一番早く起きてくるのは、もちろん子供たちだ。階段はおとうさんとおかあさんが寝ている部屋のすぐ横だから、小さい足音がぱたぱたと下へ行くのが聞こえる。そしてすぐばたばたと上に上がってきて「サンタさんが来たよ!」と大人に報告する。(大人の方は夜遅くまで起きていたから、まだまだ寝ていたいのに、、、)我が家の決まりで、プレゼントは朝ごはんの後にあけるのだが、クリスマスソックスだけはその前にあけて遊んでもいいことになっている。しばらくの間はそれで静かだが、待ちきれなくなってくると、2-3 分おきに様子を見に来るので、おばあちゃんが台所に入って、朝ごはんの用意をしてくれる。シュトーレンというドイツの菓子パンがメインで、それに目玉焼きかスクランブルドエッグとフルーツ。

朝ごはんも終わり、全員そろったところでやっとプレゼントを開けることができる。子供たちがサンタさんのエルフになって、それぞれのプレゼントにくっついているタグに書かれている名前を読み、プレゼントを配る。サンタさんからのプレゼント、おばあちゃんからのプレゼント、お父さんとおかあさんからのプレゼント、子供たちからお父さんとお母さんへのプレゼントといろいろだ。お父さんとお母さんが一番うれしいのは、やっぱり子供たちが自分で作ったカードとクリスマスの飾りなどのクラフトだ。毎年少しづつ子供たちが作ったツリーの飾りが増えている。

プレゼントに対する反応も、それぞれ違う。欲しがっていたおもちゃを、サンタさんが届けてくれたとき「え~!!うっそー!うっそー!ぎゃー、うれしいー!!ぎゃー、ぎゃー!I love you SANTA!!!!」と意味不明の言葉をわめきしらし、興奮するのはチャーリー。妙ちゃんはどのプレゼントにも平等にうれしそうな顔をして”Thank you." と言い、ごみの後始末を手伝う。

たくさんのプレゼントを車に詰め込み、屋根の上にまで乗せて家に帰るとき、楽しかったと思うと同時に、ふとこれでよかったのだろうかと考えてしまう、
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、、、と、これが、去年までのクリスマス。「ねえ。サンタさんはいないんじゃないの?」と詰め寄るチャーリー君と妙ちゃん。今年はさすがにお父さんとお母さんは折れた。お父さんとお母さんは、こう言った。「サンタさんはいる。サンタさんは確かにいる。サンタさんは君たちを愛してくれている人たちの心の中にいて、その人を通してプレゼントをくれるんだよ。でも、世界中に家族のいない子供たちや、プレゼントを買いたくても、お金のないお父さんやお母さんがたくさんいるだろ?その子達はどうなると思う?」「、、、、」(考え込んでいる二人)「チャーリー君や妙ちゃんもサンタさんになれるんだよ。恵まれない子供たちのサンタさんになる?学校で恵まれない子供たちにあげるプレゼントを集めているから、おこづかいで何か買ってあげようか?」「うん!そうだ、そうだ!ぼくたちもサンタになろう!ターゲット(アメリカ版ジャスコ)へ行って何か買ってあげよう!」お父さんとお母さんはうれしいのでした。

昔のサンタさんは、プレゼントは1個か2個しか持って来なかった。大人になっても、親兄弟で交換するプレゼントはささやかな物ばかりだった。でも、いっしょに賛美歌を歌ったり、小さなツリーを飾ったりしていたときに感じていたあったかさは一番だった。チャーリーと妙ちゃんも、あんなあったかな気持ち、感じているのだろうか。もう少し大きくなったら、感じてくれるようになるのだろうか。今年のクリスマスは、家族みんなそろってお祝いできて、楽しかったなと思ってくれるかな。自分たちもサンタさんになれてよかったと思ってくれるかな。

2008年12月10日水曜日

はじめまして。どうぞよろしく。

アビューザ家はおとうさん、おかあさん、チャーリー君、たえちゃんと、ラブラドゥードル犬のアディー君とうさぎのドミノちゃんの4人と2匹家族です。ボストンを北に40分程行った海辺の町イプスイッチに住んでいます。

おとうさんとおかあさんは二人とも,ニューヨークと大阪で育った都会っ子。これはその二人がニューイングランドに移り住み、自然に恵まれた環境で子供たちとこの土地でサバイバルするお話です。