2009年7月22日水曜日

ナニーは世界一の姑

「おばあちゃんと呼ばないで!」と姑が言うので、我が家では彼女をグラニーではなくナニー(Nanny)と呼ぶ。そして私は「ナニーは世界一の姑だ。」と思い込むことにしている。

よく「愛するだんな様を生み育ててくれた人だから大切にして。」と小学校の道徳の教科書に書いてあるようなことを言う人もいるが、うちの夫は自己中でわがままだから、夫とけんかして頭にくると「どんな育てられ方をしたんだよ!」とか「こいつは失敗作だ」と思ってしまう。だから「愛するだんな様」と言われてもまったくぴんと来ない。「姑が放任したせいだ」「姑は細かすぎる」「姑の期待が高すぎる」と思ってしまうのが正直なところである。

でも、元来が怠慢でめんどくさがり屋の私は、姑のことであれこれ思い悩むのはかったるいし時間がもったいないので、「私の姑は世界一。」と思うようにしている。

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客観的に見てナニーは「すごい!」と私も思う。兄二人は名門大学に通わせてもらえたが、彼女はいわゆる「フィニシング・スクール」(花嫁学校)しか出ていない。それでも、今では自分の小さな会社を経営し、一年中飛び回っている。

いろいろな学習障害が知られている今でこそ、自分がADDで多動児だったから学校の成績が悪かったのだと理解できるが、そのころは兄弟の中で自分が一番だめなんだと思っていたという。それでも、ADD でじっとしていることができない性質だから、自力でいろいろな知識やスキルを身に付けた。舅と結婚する20代後半にはりっぱなビジネス・ウーマンになっていた。

長男である夫が生まれて1年間は、育児と家事に専念したものの退屈でしかたがなく、再びビジネスの世界にもどった。舅が弁護士だったので一応生活には困らなかったのだが、いくつかのビジネスを立ち上げては、それをつぶすか売るということを繰り返した。しかし、郊外の大きな家を購入してまもなく彼女の夫はがんで亡くなった。大学に入ったばかりの長男、中学生の長女と家のローンと多額の医療費。彼女は家を叩き値で売り、借家に移り、夫が子供の教育費にと貯めていたものだけには手を付けまいとがんばった。就職、解雇などを繰り返し、結局自分で再びビジネスを立ち上げた。それが今の高級シルクジャケットのビジネスである。子供たちが「ナニーのスクールバス」と呼ぶ巨大バンに乗って全国を走り回り、はては海外までにジャケットを売りに行く。ナニーはすごいのだ。


姑は我が家に来てもじっとしていることができない。それにきれい好きの姑は埃などを見ると、うずうずしてくるのだろう。「掃除はしなくても死なない」というスローガンの我が家は部屋の隅にダスト・バニー(埃の玉をうさぎに見立てるアメリカ人に、月にうさぎを見る日本人をばかにする権利はない)が何匹も隠れているし、台所に油汚れがこびりついているし、バスルームの鏡にも歯磨き粉が飛び散っている。そこで彼女は家に来ると、お掃除ウーマンに変身するのである。最初の頃は私も姑のあとをついてまわって「すみません。すみません。」といいながらいっしょに掃除したものだが、もうこのごろは勝手にしたいことをしてもらって、私は台所に引っ込んでいる。

ただ、困ったことに彼女はちょっと張り切りすぎる。先日、お手洗いで何やらやっているなと思っていたら、「ジュンコ〜」と少し猫なで声で呼ばれた。行ってみると、便器掃除ブラシの柄を持って立っている。「どうかしましたか。」「便器掃除していたら、力入れすぎてブラシが折れてしまったの。ごめんね〜。」「、、、、いいですよ。ブラシくらい。もうここはそのくらいにして、お茶でもしましょう。」

お茶のあと、今度はキッチンに入って掃除を始めてくれた。ガスストーブ、水回りと次々手際よく磨き上げて行ってくれた。しばらくして、「ジュンコ〜」とまた声がした。行ってみると今度は電子レンジの前に立っている。「ごめんね〜。電子レンジのボタンを掃除してたら、壊してしまったみたいなの。新しいの買ってあげるわね。」ボタンをごしごしやりすぎて制御装置が壊れてしまったのである!「気にしないで。しばらくほっておけば直るかもしれないし。あとで、ザックに見てもらいましょう。」と言って台所から立ち退きをしていただいた。やれやれ。その後は草むしりをやらせてあげた。

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そんな姑が、2ヶ月ほど前にものすごい決心をしたのである。

もう学校も終盤に入り、そろそろ夏という時に、普段は月に2回ほどしか電話で話さない姑から週に1、2回くらい電話がかかってくるようになった。そして、いつもは一人で1時間くらいは軽くしゃべりまくる人なのに、こちらの様子を伺ってしばらく世間話をしたらもう電話を切るようになった。それが3週間くらい続いた時に夫が「お母さん、一体どうしたんだ?」と問いつめたところ、電話の向こう側で泣き崩れて事情を説明してくれた。

手短に言うと、自分の娘、夫の妹と絶交したというのである。

義妹は現在35歳。ちゃんと名門大学を出て、イギリスで修士も取った才媛である。「作家」志望で、いろいろエッセイとか書いて雑誌などには載せてもらっているものの、それだけでは生活は成り立たない。そこで、いろいろなアルバイトで食いつないでいる。ところが、小さい頃から甘やかされて育ったものだから、金銭感覚が余りない。お金がなくなって困っても、母親がいつも助けてくれるものだから、お金を貯めておこうとか、今月は$100のナイト・クリームを買うのはやめて$10ので我慢しておこうとか考えないのである。

私も夫には非常に厳しい姑が、自分の娘にはとても甘いのは知っていたが、私の関知すべきことではないと考え、口を挟んだことはない。夫もしかたがないと思っている。

そんな妹が姑からお金を「ちょろまかした」のである。そして、そのお金でボーイフレンドと海外旅行に行ったものだから、姑は怒った。(これは姑の話であるから、100%正確かどうかはまだ分からない。)そしてEメールで自分の娘をしかった。

ところが、妹はそれに反逆した。詳しい内容は知らないし、知りたくもないが、とにかく姑がなんとひどい母親かということを綿々と書いてよこし、あげくのはてには「あなたみたいな人の娘に生まれて来たくはなかった。」というようなことを書いた。

姑は非常にショックを受け、返事を書こうにも何を書いたらいいか分からず、怒りと悲しみと悔しさで身も心もずたずた。悶々とする毎日の中であと唯一の家族である我が家に電話をして、私たちの声を聞くのを慰めにしていたのである。

1時間ほど思いっきり泣いた姑は、最後にこう言った。「私は、あの子を今でも心から愛している。たった一人の娘だもの。でも、もう私はあの子にはいっさい援助はしない。今回のことで、私がいかにあの子をだめにしてしまったかを思い知った。これは自業自得。あの子が自分の書いたことを振り返って、お母さんに悪いことを言ったと思って謝って来るまで、もう私も一切連絡は断つ。」と言ったのだ。

そして、それを実行に移して2ヶ月が経った。

不思議なもので、普段あまりやりとりのない義妹もここ2ヶ月の間に何回か我が家に立ち寄って行った。母親とのけんかのことは何も言わないが、やはり少しは不安なのだろうかと思ったりする。

2、3日まえに姑と夕食を一緒にした時に、「1週間ほど前に立ち寄ってくれたけど、元気そうだったよ。」と報告すると姑は涙ぐんで「そう。よかった。でも、あの子がちゃんと謝って来るまでは、私は連絡は取らない。たとえ憎まれて死んでも、あの子にはちゃんと自立できるようになってもらいたいから。それが私の母親としての役目だから。」と言った。

私の姑はすごい。

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